2006年 03月 10日
Re:
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先日頂いたコメントに返信を書いていたら長くなってしまったので
こちらに書かせていただきます。
3月5日に投稿したブログに対していただいたコメントに対する返信です。
いつも皆様コメントありがとうございます!
ささき様、
努力の跡が見えてしまうものに対して敬遠などしません。きっと僕が見ても感動したと思いす。
人が感動するには、一つは非日常に出会った時なのではないかと思っています。圧倒的な何か、音楽だったらテクニックの時もあるだろうし単純に音量の大きい時あるいは凄く小さい時も
あるだろうし、聴いたことも無いような素晴らしい音色かもしれないし。
しかしこの場合はある程度の情報が必要で、例えばバイオリンはこんな感じの音でオーケストラはどの程度の音量でとか、ほんのわずかでいいのですが。それと比較して綺麗だったり、大きな音だったりした時何か感じるものがあるのだと思います。全くは初めて聴くヨーロッパのオーケストラやキースジャレットのソロピアノにだれしも感動する訳ではないと思います。
もう一つはいろいろな背景や過程が想像出来るものだと思います。
ドキュメントの番組を見て感動するのはこの類だと思います。
何日も何日も物凄く努力して大会に望む選手を追っかけてる番組なんかがあって、大会の結果が悪くても思わず涙してしまったり、いろいろな傷害を乗り越えて何かを達成したところを目の当たりにすると心が動きます。
何かしらの背景が感じられる演奏を聴いた時は、やはり感動してしまいます。これは音楽にとって大事な要素だと思います。しかしそれはその背景や情報がちゃんと音に含まれている場合に限ります。
ささきさんが聴いた演奏は、きっと自分自身への挑戦や、自分の音を聞いて欲しいという強い意志がしっかり音になっていたんだと思います。
これに似て「恐怖」という種類の感覚もやはりいろいろな想像からなっているもので、例えば暗闇に恐怖するのは闇のなかに得体の知れないものを想像したり、また病院が怖いのはまだ見ぬ恐ろしいであろう治療の数々を考えてしまうからだと思います。
想像が現実になった瞬間、つまり歯医者で治療が始まった瞬間や実際にお化け屋敷に入った時に、「こんなものかぁ~」と思うのは、全てが想像によるもので、現実が想像を超えないからだからだと思います。
小説で読んだ話が映画やテレビドラマになると殆どががっかりするのもそのせいだと思います。
音楽における感動と恐怖という感情が決して同じとは言いません。
ただエレクトーンを弾く幼い天才児の過剰なアクションはきっと「自分はこんなに音楽を感じているんです」という事を聞いている方々に視覚によって想像してもらう為の手段だと思います。
そういう情報が音にも含まれて無い時、つまり想像が現実を超えない時はあまりよろしくない結果を招きかねません。
よく言われる事ですがテクニックなんて物は、たかだか表現する為の一つの手段に過ぎません。あればそれだけ表現の幅は広がりまが。
一色の絵の具で風景を描くのと12色の絵の具で書くのとでは差が出るはずです。でも素晴らしい水墨画は沢山あるし、版画やモノクロームの写真も世界的に評価されているものは山ほどあります。
テクニックなどその程度なんだと思います。
なによりそのボーカリストの方の吹いた演奏を聞いて感動することが出来た感性が大事だと思います。
全ての人に解かってもらう演奏は不可能だし、自分本意の演奏なんてだれも聞きたくないし、どんな時もどんなジャンルでもどんな楽器でも、うたう事を大事にしていれば人にちゃんと伝わるのだと思っています。単なる音の並びではなく、全てが心地よい、あるいは泣いたり叫んだりするような旋律になればいいなと思っております。
しかしそのヴォーカリストが誰なのか気になりますね。
あっ、kotaroさんまたアーブズバーで!
uooさん雛人形は早めにかたして下さいね。
こちらに書かせていただきます。
3月5日に投稿したブログに対していただいたコメントに対する返信です。
いつも皆様コメントありがとうございます!
ささき様、
努力の跡が見えてしまうものに対して敬遠などしません。きっと僕が見ても感動したと思いす。
人が感動するには、一つは非日常に出会った時なのではないかと思っています。圧倒的な何か、音楽だったらテクニックの時もあるだろうし単純に音量の大きい時あるいは凄く小さい時も
あるだろうし、聴いたことも無いような素晴らしい音色かもしれないし。
しかしこの場合はある程度の情報が必要で、例えばバイオリンはこんな感じの音でオーケストラはどの程度の音量でとか、ほんのわずかでいいのですが。それと比較して綺麗だったり、大きな音だったりした時何か感じるものがあるのだと思います。全くは初めて聴くヨーロッパのオーケストラやキースジャレットのソロピアノにだれしも感動する訳ではないと思います。
もう一つはいろいろな背景や過程が想像出来るものだと思います。
ドキュメントの番組を見て感動するのはこの類だと思います。
何日も何日も物凄く努力して大会に望む選手を追っかけてる番組なんかがあって、大会の結果が悪くても思わず涙してしまったり、いろいろな傷害を乗り越えて何かを達成したところを目の当たりにすると心が動きます。
何かしらの背景が感じられる演奏を聴いた時は、やはり感動してしまいます。これは音楽にとって大事な要素だと思います。しかしそれはその背景や情報がちゃんと音に含まれている場合に限ります。
ささきさんが聴いた演奏は、きっと自分自身への挑戦や、自分の音を聞いて欲しいという強い意志がしっかり音になっていたんだと思います。
これに似て「恐怖」という種類の感覚もやはりいろいろな想像からなっているもので、例えば暗闇に恐怖するのは闇のなかに得体の知れないものを想像したり、また病院が怖いのはまだ見ぬ恐ろしいであろう治療の数々を考えてしまうからだと思います。
想像が現実になった瞬間、つまり歯医者で治療が始まった瞬間や実際にお化け屋敷に入った時に、「こんなものかぁ~」と思うのは、全てが想像によるもので、現実が想像を超えないからだからだと思います。
小説で読んだ話が映画やテレビドラマになると殆どががっかりするのもそのせいだと思います。
音楽における感動と恐怖という感情が決して同じとは言いません。
ただエレクトーンを弾く幼い天才児の過剰なアクションはきっと「自分はこんなに音楽を感じているんです」という事を聞いている方々に視覚によって想像してもらう為の手段だと思います。
そういう情報が音にも含まれて無い時、つまり想像が現実を超えない時はあまりよろしくない結果を招きかねません。
よく言われる事ですがテクニックなんて物は、たかだか表現する為の一つの手段に過ぎません。あればそれだけ表現の幅は広がりまが。
一色の絵の具で風景を描くのと12色の絵の具で書くのとでは差が出るはずです。でも素晴らしい水墨画は沢山あるし、版画やモノクロームの写真も世界的に評価されているものは山ほどあります。
テクニックなどその程度なんだと思います。
なによりそのボーカリストの方の吹いた演奏を聞いて感動することが出来た感性が大事だと思います。
全ての人に解かってもらう演奏は不可能だし、自分本意の演奏なんてだれも聞きたくないし、どんな時もどんなジャンルでもどんな楽器でも、うたう事を大事にしていれば人にちゃんと伝わるのだと思っています。単なる音の並びではなく、全てが心地よい、あるいは泣いたり叫んだりするような旋律になればいいなと思っております。
しかしそのヴォーカリストが誰なのか気になりますね。
あっ、kotaroさんまたアーブズバーで!
uooさん雛人形は早めにかたして下さいね。
by rui-shim
| 2006-03-10 15:38
| ■ Diary
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Comments(2)
Commented
by
ささき
at 2006-03-11 22:09
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類家さん、返信ありがとうございます。心からうれしく思います!そして、類家さんの音楽に対する真摯なお気持ちがうかがえた気がして、またひとつ私の中で類家さんのトランペットがより深いものになりました。演奏をする側、それを受け取る側、お互いが五感を働かせ、想像力を働かせることでひとつの曲がもっともっと素晴らしいものになっていくのでしょうか。「単なる音の並びではなく、全てが心地よい、あるいは泣いたり叫んだりするような旋律」もっともっと聴きたいです!想像したいです!これからも、類家さんの素晴らしいトランペットが世界中に届くよう(ちなみに外国人の知り合いはいませんが)応援させてもらいます!最後に・・・気になるヴォーカリストが誰なのか・・・ここは類家さんのブログ・・・、最大限配慮いたしまして、可能限オブラートに包んで・・・も内緒ってことで!
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Commented
at 2006-03-12 23:12
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。